御祭神①宗像三女神
海運・交通安全の神、芸術・芸能の神
市杵島姫命 いちきしまひめのみこと
多紀都姫命 たぎつひめのみこと
多岐理姫命 たぎりひめのみこと
宗像三女神はとても美しく、中でも市杵島姫命は芸術・芸能に秀でておりました。
同じ宗像三女神を祀る厳島神社は、市杵島が転じたものと言われます。その後、市杵島姫命は弁財天と結びつき、七福神の弁天様としても信仰されています。
交通安全の三女神をお祀りするため、宗像神社では “車祓い” を特別に扱っております。
『古事記』 宗像三女神の話
伊邪那岐命 いざなぎのみこと が産んだ神の中で、須佐之男命 すさのおのみこと は海を治めることを任されておりました。ところが仕事をまったくしません。ずっと母を恋しがり、母のいる黄泉 よみ の国へ行くことばかり考えていました。
そんな須佐之男命を伊邪那岐命は怒り、国から追い出します。そこで須佐之男命は、高天原 たかまがはら にいる姉の天照大神に一言あいさつを告げてから黄泉の国へ行こうと思い、天上界の高天原へと昇ったのです。
ところが天照大神は、須佐之男命が高天原を奪いに来たと勘違いし、弓矢をもって須佐之男命を迎えたのでした。これに困った須佐之男命は、疑いを解こうと天の安河原で誓約を提案し、天照大神と子産みの勝負をしたのです。
まず、天照大神が須佐之男命の持っていた剣を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神を産みました。これが宗像三女神です。
続いて須佐之男命は、天照大神の勾玉(八尺の勾玉 まがたま の五百箇のみすまるの珠)から五柱の男神を産みます。天照大神は、自分の珠から産まれたのだから五柱の男神は自分の子と述べました。
須佐之男命の心が清らかなので心優しい女神が産まれたとして、須佐之男命の勝ちとし、潔白が認められたというお話です。
※『日本書紀』では内容が少し違います。
宗像女三神は、天照大神の御神勅 ごしんちょく を受けて天下り、大和の国を拓く道筋をつけられた神さまです。
天照大神(高天原=神々のいます天上の世界の支配神)から御神勅を受けて地上に下られた神は、宗像女三神と天孫の瓊瓊杵命 ににぎのみこと に限られ、御神徳が特に高く広く崇敬されています。
宗像女三神が受けた御神勅で “汝三神は宜しく道中に降居して天孫を助け奉り天孫に祭かれよ” (天孫である皇室を助けてよくお祭りされよ)と命じられたことから伺えるように、天照大神の厚い信頼を受けた神であり、歴代の皇室も宗像三神を篤く崇敬されてきました。
また、宗像女三神を〝道主貴 みちぬしのむち 〟とも申し上げますが、お名前に〝貴〟の入った神は大日靈貴神 おおひるめむちのかみ (天照大神)と、大己貴神 おほなむちのかみ (大国主神)の三柱のみです。つまり宗像女三神は、御神徳が特に高いことがわかります。
さらに、応神天皇と神功皇后を御祭神とする八幡神社の多くに、応神天皇と神功皇后が崇敬された宗像三神がお祀りされています。こうした神様を氏神様とする私たちは誇りを持つことができます。
宗像神社の総本社
福岡県宗像市に鎮座 ちんざ される〝宗像大社 むなかたたいしゃ 〟が、日本各地の宗像神社や厳島神社、宗像三女神を祀 まつ る神社の総本社です。
古くから〝道の神〟として皇室からも守護神と信仰され、鉄道や自動車など交通安全の神としても全国的に知られます。また、日本で最初に〝交通安全御守り〟を誕生されたのも、この宗像大社です。
玄界灘の沖ノ島を〝沖津宮〟として田心姫神 たごりひめのかみ を祀り、大島を〝中津宮〟として湍津姫神 たぎつひめのかみ を祀り、宗像市のお社で市杵島姫神 いちきしまひめのかみ を祀られ、これらを合わせて〝宗像大社〟と言います。
全国にある厳島神社の総本社、広島の厳島神社も宗像三女神をお祀りされております。宮島(厳島)を〝神に斎 いつ く島(神様にお仕えする島)〟として信仰され、古くは〝伊都岐島神社〟とも記されました。また、宗像三女神の市杵島姫命 いちきしまひめのみこと が転じたとも言われます。
平成の大造営
平成26年10月に参拝した時は、ちょうど〝平成の大造営〟の最中でした。そのため仮本殿での参拝となりましたが、造営中の千木の取り付けを見ることができました。
現在の社殿の様子は、次の参拝後に紹介します。いつになることやら。