③ 七五三、合格祈願 ほか
七 五 三
1組ずつご祈祷。
満年齢もお受けしております。
三歳男女〝髪置の儀〟
五歳男児〝袴着の儀〟
七歳女児〝帯解き (紐解き) の儀〟
千歳飴は、御神札や御守と一緒にお渡しします。
合格(入学、入社、資格)学業成就

学業と出世の神『菅原道真公(天神様)』を、境内社でお祀 まつ りしております。入試や学力向上で実力が十分発揮できるよう祈願いたします。
宗像神社では天神様をお祀りしているため、お守りには太宰府天満宮、北野天満宮と同じ「梅紋」を用いております。
菅原家は、天穂日命 あめのほひのみこと(天照大御神から生まれた農業・産業の神様)の流れをくみ、学問で朝廷に仕える家柄でした。道真公の祖父の清公公が設けた私塾から数々の官人が輩出され、朝廷の要職に就いて菅原家は一大学閥になっていきます。
道真公は、わずか5歳で和歌を詠むなど幼少期から学問の才能を発揮し、神童と称されました。さらに勉学に励み、学者としての最高位の文章博士となり栄進を続けたのです。学問以外でも弓で百発百中の腕前を持ち、文武両面に傑出した人物として、その名を馳せていきました。
讃岐国(香川県)の長官の時、疲弊していた国を建てなおすなど力を尽くし、住民にたいへん慕われました。その実績が宇多天皇に認められ、京都に戻ると厚い信任を受けて政治の中心で活躍していきます。
寛平6年(894)、唐の国情不安と衰退を理由に遣唐使の停止を求め、その後の国風文化の開花に大きな影響を与えました。
道真公はさらに右大臣まで出世し、国家の発展に尽くします。ところが左大臣の藤原時平の政略により、身に覚えのない罪を着せられ、大宰府に突如、左遷(低い地位・官職におとすこと)されることとなりました。
その時、自宅の梅の木に別れの歌を詠まれました。
東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ
(意味)
春風が吹いたら大宰府まで
香りを届けてくれ、梅の花よ。
主人の私がいなくても、
春を忘れてはなりませんよ。
大宰府では衣食もままならぬ厳しい生活を強いられながらも、皇室のご安泰と国家の平安、また自身の潔白をひたすら天に祈られ、誠を尽くしました。
延喜3年(903)2月25日、道真公はその生涯を閉じられます。その後、朝廷でも無実が証明されました。
人から神の御位に昇られた道真公は、太宰府天満宮に永遠に鎮まり、学問の神様、至誠の神様として今も永く人々の信仰を集めています。
入学・卒業・就職奉告
人生の大きな節目としての奉告祭です。心を新たに、門出の祝福とご加護を賜 たまわ ります。
成人奉告

成人したことを社会から公認され、祝福を受ける儀です。
今は新成人をお祝いする式典が催されたりしますが、神社では厳かな成人祭として神様に成人になったことを奉告する儀があります。
※成人式(自治体主催)に不参加の方も見えられます。

